2017年6月17, 18日


6月17日

再び書き始める。書きたいことがあるわけではない。書きたいことを探してまでも、書かなければならない。

先般、『夏の駄駄』という名の本を自費出版で発行した。書き綴っていた日記を寄せ集め、恥ずかしげもなく刊行した。それは欲望であると思う。自己の内面との対峙――純粋にそれだけだったらよかったのに。結局、死にたくないし、生きるなら楽しい方がいい。そして、「残したいし、見てもらいたい」と思っている。

私の表現は孤独ではない。純粋無垢な自己探求の精神ではない。真理を悟る喜びではない。逃げ道である。

「幸せになりたいと思っている。そう思っていることに涙がでる」

死んでいく。死んでいくから、あがいている。表現とは、なんと意地汚いものだろう。


6月18日

自ら命を絶つ勇気が欲しい。しかし、そんなのは口先だけだ。本心からそう思っているのか。

23時。小豆色のパーカーを羽織り、突っ掛け履きで、コンビニに向かった。空腹だった。

おにぎり、弁当、パスタなどが、横並びに綺麗に陳列されている。それらをざっと一覧する。やはり、特に食べたいものはない。ならば、時間をかけずに早く決めてしまったほうがいい。

「久しぶり」という理由だけで、カツ丼を手に取る。全体がラップで巻かれているカツ丼は、あまり美味しそうには見えなかった。それでも食べなければならない。

カツ丼と缶ビールを手に持って、足早にレジへと向かう。フィリピンかベトナムあたりの外国人が、不慣れな手つきでレジのキーを打ち、「アタタメ、マスカ?」と聞いてきたので、「お願いします」と答えた。

会計を済ませ、右手に白いビニル袋をぶら下げて帰る。日中は蒸し暑かったが、夜道はひんやりとしていて涼しかった。

「もう何年も、こうして、コンビニのビニル袋を手に提げ、夜道を歩いている」

こんな部屋、泥棒なんて入らないだろうと思って、鍵を閉めずに自室を出た。ドアを開けると、やはり部屋はそのままで、暗く、静かだった。

部屋の明かりをつけ、座椅子に腰掛けると、早速、カツ丼に巻かれたラップを破り取った。机の上にカツ丼を置き、コンビニでもらった割り箸を割った。「ぱちん」という乾いた音が、八畳の部屋で独り響いた。

犬が飯を食うように、背を屈め、カツ丼を食った。肉は脂身が多く、衣は薄くて貧弱だった。それはお世辞にも美味しいとは言えない、トンカツという名前でしかなかった。

クチャクチャと音をたてて食べる。適当なお笑い動画をYouTubeで再生し、ノートパソコンの画面を見ながら、晩飯を食う。もう何年も、こういう生活をしている。十八歳の頃から一人暮らしを始めた。今三十三歳であるから、十五年が経った。

自ら命を絶つ勇気が欲しい。そんなことを言いたいだけだ。書いてみたいだけだ。

刺激的だと思って、ちょっと書いてみたいだけだろう。知っている。そうだろう?

幼い。精神年齢が幼いならばまだしも、表現が幼いと言われている。その声が聞こえる。幼くてつまらない、と。

「悔しいのか。悲しいのか。――死にたくない。嘲笑われたくない」

カツ丼を食い終えると、すぐに缶ビールを手に取った。アルコールを勢いよく喉に流し込む。冷えていない、ぬるいのが気になった。が、構わず飲み続けた。

しばらくしたら、私は床につき、眠るのだろう。もう何年もこうしている。