2017年7月13日


7月13日

午前九時。起床と同時に、頭痛に見舞われる。

しばらく寝床の上で、ぼんやりとスマートフォンでニュースを眺め、気を紛らわせていたが、一向にその鈍痛は治まらない。頭の中をごろごろと石が転がっているような不快な感じがずっと続いてる。

最近なぜか仕事休みの日に限って、嫌な頭痛に襲われる。しかし、解消方法はわかっている。軽くでもよいので、一度仮眠をとればピタリと治まる。いつもそれで回復する。

昼近くになっても、頭の中の暗雲が晴れる気配はない。なので、此度もまた、仮眠をとることにしたのだが、寝床で目を閉じ、眠ろうと試みても、なかなか睡魔が訪れない。妙に目が冴えている。

私の知る、頭痛を治める有効な手段は、仮眠をとることなのだが、「眠れない」となると、では一体どうすればよいのか。

風邪や腹痛のときなどもそうだが、普段からあまり薬に頼らない質であるゆえ、手元に頭痛薬といったものは持ち合わせていない。

仕方なく、机の上でうつ伏せになって、うーうーと低く呻き、堪えていると、ふと、考えなければならないことを思い出した。

「そういえば、今の仕事を、私はいつまで続けるのか――」

社内における私の成績は、決して良いとはいえない。上司や顧客に怒られ、平謝りに謝ることはよくあって、最近は、同僚の年下の者から指導されることもある。「楽しいか?」と問われれば、「正直、ちょっとしんどい」と、弱気な返事をしてしまうような状況である。

そもそも人付き合いが苦手な性分、営業系の仕事なぞ、はなから向いていないのかもしれない。――とはいえ、稼がなければ、生きていけない。生きていけないということは、つまり死ぬということで、私は死ぬことが怖い。そのような思いを懐に抱いて、この一年半、今の職場で働いてきた。

「死ぬことが怖いから働くのであって、では、怖くないならば、働かないのか」

真剣にそんなことを考えている私は、来月、三十四歳になる。大人になる成長の過程で、そのどこかで、私はつまづいたのか。

「健康とは、しのごの考えずに生きること。もしそうなら、私は不健康だ」

時刻は昼の一時をまわり、先ほどまで庇で隠れていた太陽が、やや西に傾き、その顔を覗かせた。窓から強い日差しが入り込み、照らされた室内は、急激に温度が上がっていた。私はたまらずシャツを脱ぎ、手元のボックスティッシュを使って首筋の汗を拭いた。

日差しの侵入を防ごうと、カーテンを閉めようとした際、ちらと窓の外を見た。燦々と輝く太陽と、瑞々しい青の空が目に入った。太陽の背景であり、また、もっとも密着しているはずなのに、その青は、触れるだけで涼しくなるような青をしていた。

窓の端から端までカーテンを閉めた。が、丈が短く、どうしても窓の下のほうから日の光が入り込んでしまう。そのため、窓付近の床は、明るく照らされ、洗濯した靴下でもそこに置いておけば、すぐに乾きそうなほど熱せられていた。

あまりの暑さに、エアコンの冷房をつけようかと思ったが、例年、八月より冷房を使用している私は、まだ早いと思い、我慢で乗り切ることにした。

パソコン前の椅子に腰掛け、床に置いてあった二リットルのペットボトルを手に取る。直接それに口を当てて、がぶがぶと呷るように水を飲む。

――ふと、朝から続いていた頭痛が止んでいることに気が付いた。と同時に、身体に重さを感じ、急に眠気が襲ってきた。私は寝床へと向かい、上半身裸のまま横になった。

額の汗はそのままに、目を閉じ、ゆっくり息を吐き、「……貯金が二百万円あれば、二年間くらいは、働かずに生活できるだろうか」、そんなことを思いながら眠りに落ちた。