2017年7月22日


7月22日

「私にとって、幸福とはお金があることであり、それ以上のものではない」

お金があることで生まれる気持ちの余裕。今の私にはそれがある。それをはっきりと感じている。お金は私に安心をくれる。「貧しくて苦しい」ということが今の私には無い。

「お金がある。私は今、安心している。幸せだと感じている」

二十代後半、埼玉県に住んでいた頃――。手元にお金がなく、銀行口座の貯金も尽き、精神的にまいってしまった時期がある。

電気や水道が止まることには慣れていた。そんなことは大した苦ではなかった。が、家賃を三ヶ月間滞納してしまい、実家の親に家主から取り立ての連絡がいったときは、さすがに辛かった。すぐに三重県に住む母から電話がかかってきた。

「家主さんから電話あったけど……あんた、何してんの? 家賃……払ってないんか?」

こうなってしまっては、どうしようもない。親にまで連絡がいっているのだ。さすがにもう、居留守で乗り切ることはできない。しかし、かといって、支払うお金など私にはない。財布を開けてみても、三百円ぽっちしか入っていない。

現状を色々と話した後、母は、父に電話をかわった。滞納していた家賃を、父が肩代わりしてくれることになった(更新料も含めて、確か二十万円程度だったと思う)。その時、父とどのような話をしたのか。はっきりと覚えていない。携帯電話を握りしめ、ただただ、私は涙を流していた。落ちぶれた自分が、情けなくてたまらなかった。私は自分に才能があるものだと思っていた。成功するものだと思っていた。でも、そうではなかった。

――その後、私は仕事を見つけ、借りた分のお金を実家に返した。決して裕福な家ではない。二十万円は、父にとって安い金額ではなかったはずだ。一体どんな思いで、肩代わりしてくれたのか。あの時のことは未だに感謝している。

そんな父は昨年死んでしまった。

「私にとって、幸福とはお金があることであり、それ以上のものではない」

今の私にはお金があり、気持ちに余裕がある、安心している。幸福とは、その程度でしかない。それ以上のものが必要だと思う、そう思わずにはいられない。