2017年11月28日


11月28日

今月十一月。煙草を辞めて三年が経った。「吸いたい」という気持はもうほとんど起こらない。

煙草を辞めたきっかけはいくつかあって、上がる一方のたばこ税に辟易としたことや、寝起きのだるさを解消するため、等があげられる。

喫煙していた当時は、夜中眠る直前まで煙草を吸い、起床後五分以内に煙草に火をつけるという生活であったため、金銭的にも体力的にも、その行いは相当な負担であった。

また、二十代の若いときは、煙草を吸うことに、ある種の〝かっこよさ〟や〝陶酔と開放〟を感じていた。空へと立ち昇る一筋の煙に、自身の孤独を投影することもあれば、まだ若い肉体を害する行為は自傷的で、一抹の慰めにもなった。

しかし三十代を迎えると、そうもいかなくなって、運動不足の怠けた身体で中年のおっさんが煙をふかしている様は、何だかとても醜いように思われた。かっこよくも慰めにもならない、それどころか、「これ以上落ちぶれること」のように思われて、それだけは何としても避けたいと思った。

こういった次第で、私の禁煙は始まり、今に至る。再び煙草を吸うことは、余程のことがない限り、有り得ないだろう。


――仕事休み、休日。しばらく部屋の掃除をしていなかったので、いくらか時間をかけて掃除を行おうと思った。なるべく早く、できれば午前中のうちに終わらせたい。

玄関近くに置いてある手箒を手に取り、くまなく部屋を掃除する。血液型と性格に関係性があるのかは知らないが、A型である私はこういったとき、神経質になって細かく掃除を行う。時間をかけても、部屋の隅々まで綺麗にしようとする。

途中、壁にかけてあるスーツのズボンが、ふと目に入った。そろそろクリーニングに出さなければならないと思い、全体のシワの具合を見てみると、後ろポケットのボタンがほつれ、取れかかっていることに気がついた。

別に、掃除が一段落ついてからでも構わないのだが――。一度気になってしまうと、どうにも放っておくことができない質である私は、すぐさま押入れの収納ボックスから裁縫セットを取り出した。

まずは、ほつれた糸をハサミで切り、ズボンからボタンを取り外す。糸通しを用いて、針の穴に黒糸を通す。玉結びを作る。簡単に外れないように、丁寧に強く、ボタンを縫い付ける。無事、十五分程度でボタンの修復が終わる。

「これで明日から気持ちよく仕事に行けるな」

そう思った。思ったと同時に、「もし、自分が結婚をしていたならば、配偶者がこういったことをやってくれるのだろうか?」という想像をした。「いや、そんなことをしてもらわなくても、こんなふうに一人でボタンを縫うことを厭わないのだから、一人で生きていけるな」と、自虐的に笑った。

「多分、この先、私は結婚をしないだろうし、したくてもできないだろう」

十代のときに孤独につまづいた者は、死ぬまで一生孤独である。最期まで呪われたように孤独はつきまとう。そんなことはないか?

ボタンを縫い付けた後、部屋の掃除を再開する。膝をつき、雑巾で床を拭く。この際だからついでに、トイレと風呂の掃除も一気に行う。夢中になって掃除をしていると、嫌なことも楽しいことも忘れられる。過去も将来も忘れられる。

一通り掃除を終えると、時刻は昼の一時になっていた。特に腹が空いているわけではないのだが、「いつか腹が減るのだから今のうちに済ましておこう」と効率的に考えた。

最近はもっぱらキャッシュレスで、財布を持たず、スマートフォンだけを持ってコンビニへと出かける。おサイフケータイという機能でもって、生姜焼き弁当をレジで購入する。

帰宅し、買った弁当を電子レンジで温める。五〇〇Wで三分三十秒。これで冷たかった弁当は温かくなったはずだ。

パソコン机の上に弁当を運び、その蓋を開ける。一瞬、ふっと湯気が立つ。見た目も中身も、手作り弁当と変わらない。しかし、それなのに――いくら温めてもコンビニ弁当が冷たく感じられるのはなぜだろう?

気取ってそんなことを思ったわけではない。「何を詩人ぶっているんだ。まったく胡散臭い奴だ」。もし、そのように思う人がいたなら、その人はきっと、十年以上コンビニ弁当ばかり食べている人ではないだろう。ほぼ毎日、コンビニ弁当を食べていると、この気持ち、この感想は、自然であり現実的なものである。いくら温めても取り去ることのできない冷たさがコンビニ弁当にはある。

休日、昼下がり。たいしてうまくもない弁当を、〝腹が空くから〟という理由で、口に入れる。声が聞こえる。

「どうだ? 孤独か?」


――今月で、煙草を辞めて三年が経つ。辞めた当初は、恋人を失ったような喪失感があったが、今は何とも思わない。吸わない生活にすっかり慣れてしまった。

煙草を辞めたおかげで、貯金ができるようになったし、また、少しは健康体になったと思う。お金と健康、それらは長生きに繋がる。事故や災害、急病などによる突発的な死を除くと、ひょっとすると、私は私が思っているよりも長生きするかもしれない。……いや、コンビニ弁当ばかりの毎日だもの、そんなことはないか。

掃除後の昼食。コンビニ弁当の具を一口、二口と、箸で口に運ぶ。目の前のパソコン画面には、動画サイトの関連動画一覧が並んでいる。私はぼんやりとそれを眺めながら、パクパクと無機質に口を動かしている。

……続けて、その声は言う。耳元で。暗い、低いトーンで、「ところで、孤独と長生きについて、どう思う?」。私は頭をかきむしって、「もういい加減にしてくれ」と言う。