2018年2月3日


2月3日

先日、第三大臼歯、所謂〝親知らず〟を抜いてきた。

それは横向きに埋伏しており、街中の歯医者では抜歯は難しいと言われ、自宅近くの病院の口腔外科にて為された。

「歯茎をメスで切開する」――親知らずについて全く無知であった私は、施術前の説明でそのことを初めて聞き、大変狼狽してしまった。まさかそこまでの施術になるとは、思ってもみなかった。また、滅多にあることではないが、極稀に、数パーセントの確率で頬の辺りに痺れが残るという、後遺症についての説明もあって、根が小心である私は「勘弁してくれよ」と、すっかり怖気づいてしまった。

しかし、虫歯になりつつあったそれは、なるべく早く抜かなければならない状況にあり、腹を決めざるを得なかった。

抜歯作業自体は、十五分程度で終わり、思っていたよりも早かった。当然、局部麻酔はされているから、痛みはほとんど感じなかった。とは云え、痛みはなくとも、施術中は終始恐怖でたまらなかった。

無事、親知らずを抜き終え、帰宅。予想はしていたが、やはり術部の出血は酷く、一向に止まらなかった。痛みについては、それ用の薬を飲むことで緩和することができたが、食事の際は患部に直接触れぬよう、気を使わねばならなかった。「なるべくなら硬いものより柔らかいものを」と、術後の注意点として看護師に言われたので、コンビニのサンドイッチを買って食べた。血の味がして、不味く、食った気がしなかった。

抜歯を行ったその晩は、なるべく安静に過ごそうと思い、酒を控えた。正確な日数は分からないが――およそ三年ぶりにアルコールを一滴も飲まない一日となった。

酒を飲み、酔って、嫌なことを忘れる。そしてそのまま寝る。それをずっと続けている。

二週間程前、母からメールがあった。

「元気にしているか? 実家にはもう帰ってこないのか?」

確かそのような内容の文だった。それに対し、未だ返信していない。

高校卒業後、私は故郷の三重県を離れ、京都で一人暮らしを始めたのだが、以来、実家にはあまり帰らなくなってしまった。帰省するのは、親族の誰かが亡くなったときぐらいのもので、余程のことでもない限り、帰ろうとしなかった。「たまには家に帰ってきぃや」と家族に言われても、それを一切無視したり、「なにか食べ物でも送ろうか?」という仕送りの話を無下に断ることもあった。

「もう俺は一生実家に帰ることがないのか」

返信しないまま残されたメール文を眺めながら、ふとこみ上げてくる寂しさ。しかしどうしようもない。啖呵を切って出ていった身だからこれは仕方ない、当然の始末である。

私は家族に馴染めなかった。地元故郷に愛など無い、まるで無い。

珍しくアルコールを取り込んでいない晩。冴えた頭で考える、思い出す。自分にも母親がいた、父親がいた。祖母、祖父がいた。憎んでいない。素晴らしい人達だった。感謝している。なのになぜか? 

私は強情で矮小な男だ。どんなふうに死ぬか――心のうちで一度決めたことがあり、その信念は青く幼いながらも、小さく強い火として今も残っている。もはや戻れない、戻せない。一度でも家族を突き放し、遠ざけた人間に、帰る場所など無い。強情で矮小な男ではない、男とは強情で矮小なのだ、そうあってほしい。

昨日まで平然とあった親知らず。終わったあとに考えても、もうどうしようもない。