2018年5月15日


5月15日

「居場所はここにあるぞ」

感情のすべてをぶつける、居場所はここにある。

家近くのドラッグストアで歯ブラシを買った帰り、そんなことを思ってしまった。

昼下がり。歩道のすぐ横では、忙しくなく自動車が行き来している。のろのろと歩いている私とは対照的で、思わず車道に身を投げてみたくなる。

ドラッグストアで歯ブラシを買うのはもう何度目のことで、これから何度あることだろう。なんの狂いもなく、私の休日は休日以上のものとならない。なくなったトイレットペーパーを買いに行ったり、伸びた髪を切りに行ったり、ワイシャツをクリーニングに出しに行ったり……。確か先週の休日もそうだった。おそらく来週の休日も同じことだろう。日常は螺旋ではなく回帰だからな。

心が荒んでいくのが自分でもよくわかる。

帰宅すると、手に持っていた歯ブラシのパッケージをいい加減に開封し、洗面台にそれを置いた。パソコン前の椅子に座り、一息つく。今日も特にやることは無い。おそらく適当にパソコンで動画を見て、二十一時頃から酒を飲んで、いつの間にか眠っているのだろう。晩飯はコンビニだろう。明日は七時半に起きて、そしていつもと同じように職場へと向かう。仕事内容はいつもと変わらない。

「私の心の居場所は他人の中にあるのか」

例えば芸術家ならば、『作品の中にある』と云うかもしれないし、『家族』と答える者、『故郷』と答える者、様々だろう。

幸福、愛、お金……を失ったら、つまり、私が『私だけ』になったとき、私の心の居場所はどこにあるのだろう。それは他人、ひいては他者ではないのかもしれない。

私の心は、私の中にしかないのだ。預けられるものではなく、委ねることができない。

「居場所はここにある」――〝ここ〟とは、その場所とは、私である。私の居場所は〝私〟――というそのことが、孤独であると同時に、私さえ在れば何とかなる、救いである。